お雑煮のブログ

ほぼ偏見

日記③本と本

 

訳あってイライラしている。というか最近は何事にもイライラする。雨なんかが降った日には朝から雨に対しての不満をぶつぶつ言ってしまう。

 

 

というか色々と泣きたい。うん、泣きたすぎる。今凄い優しい言葉を投げかけられたらボロボロ泣いてしまう気しかしない。今日の帰りの電車でもそんな感じで一日中引きずっている。電車に乗っている時は、星野源さんの「そして生活は続く」というエッセイ集のきんたま発言という話を読んでなんとか涙を堪えていた。でもこの話もちゃんと良い話なのでうるっと来そうで顔面が色々とダメだった。

 

 

何か打開策はないかと頭を捻った結果、本を買うという結論に辿り着いた。

 

 

僕はここ1〜2年で本を読むようになった。本を読んでいる時、その本の著者との距離が近く感じる。なんかこう、その本を書いた人の話を一方的の聞かされている気持ちになっている。言い方を良くすれば対談みたいな感じで、僕は「わかる…」「素敵だ」と文を読みながら心の中で著者に相槌をうっている。

 

 

 

そう思うのも、僕が「独り」を感じる時間が多くなったのと、読んでいる本のほとんどがエッセイなのが原因だろう。1人は楽だ、自分のペースで全て決行できるし、出先で1人だったら誰かのトイレを待つ事もないし、誰かに自分のトイレを待ってもらう必要もない。

 

 

でも時折感じる寂しさは拭いきれない。少なくとも僕は寂しさを感じてしまう人だった。エッセイはその人の人生が読めるし、その人の良いと思った考え方を自分の人生に活かせる。そこが良い。どんな大物アーティストにも僕らと同じような悩みがあると安心する。そこが僕の感じている寂しさに優しく寄り添ってくれる。

 

 

 

本屋に来た。真っ直ぐ進み突き当たりを右に曲がり、漫画コーナーを抜けるとあった、エッセイコーナーだ。僕は前々から欲しかった星野源の「いのちの車窓から」を手に取りレジに向かおうとしたが、その隣においてあった「野田の日記」もなんとなく手に持つ。そしてレジに向かう僕にまたここで誘惑が…「ドラえもん拡大原画集」なるものが漫画コーナーにおいてあった。藤子・F・不二雄さんのドラえもん、その原画を拡大して色んな目線で分析する本だ。結構大きめの本でわりかし重い。もう落ち込んでいる僕は誰にも止められない!(誰も隣にいないが)僕はそれも手に取りレジに向かった。

 

 

 

会計が9000円を超えた。僕はもういいや精神で家に帰った。

 

 

 

小雨の中本を守りながら帰る。本だから濡れる。携帯の電子書籍じゃ味わえないものがある。

 

 

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家に帰りドラえもん原画集を見る。一つのページの大きくドラえもんの作中の一コマが載っている。迫力が凄い。よく「ドラえもんが上手く描ける」という人がいる、当たり前だけどそんなもの比じゃない。

 

 

そこに描かれたのび太ドラえもんは当然ながらとても丁寧に描かれている。だがこの本は拡大原画集、拡大された原画なのだ。鉛筆の下絵や、ホワイトでの修正などドラえもんという漫画ができるまでの「課程」がしっかり見える。その中には汚れや線のミスを修正した箇所などもある。それを見ながら僕はボロボロ泣いてしまった。ページをめくるごとに何故だかわからないが涙が止まらない。挙げ句の果てにしずかちゃんの原画を見ながら鼻水を垂らして泣いていた。

 

 

 

最近あった事やどうしようもない僕の言動がフラッシュバックしてしまい、着ていたグレーの長袖Tシャツがびちゃびちゃになってしまった。

 

 

 

こんなに不意打ちを喰らうとは思わなかった。笑いたくて読む本、泣きたくて読む本、僕の中でも色んな本があるがまさかこの原画集で泣くとは思わなかった。

 

 

でもそれを読み終わると、また1人だった。僕は次の本を手に取りまた泣いた。