お雑煮のブログ

ほぼ偏見

バレンタインです。

バレンタイン。
 
これを書いているのは2月の11日です。もうあと3日でバレンタインという日がやってきます。
文章であれ、男としてこのバレンタインという日をカウントダウンしているのは非常に恥ずかしいです。
 
理想としては「え?今日バレンタインだっけ?」みたいな、バレンタインという日に対して特に気持ちを揺らしたりせずに、ただ鈍感に過ごす人。おまけに沢山チョコを貰える。
 
こんな人に憧れを持っています。しかし正直な所、このような人に憧れを持つことすら虚しいという部分もあります。
 
ちなみに私は「バレンタインなんて所詮お菓子会社の販売促進に乗っかる日だろ」という台詞を吐く人が寒い事くらいわかっています。なのでそんな人にはならないし、そんな台詞は吐きません。
 
以前まではそんな気持ちを胸に、このバレンタインという日を過ごしていたのも事実ですが、ここ最近はこの「チョコをあげる」という風習を良いと思えるようにはなりました。
 
理由として、単純にわかりやすい。
 
「好意」を物にし、相手に渡すなんてとてつもなくわかりやすい。しかもチョコレート、消費できる物なんてめちゃくちゃ楽です。
 
例えば、バレンタインは「動物の形をした笛を渡す」という風習が日本に渡ってきたとして、最初は流行ったとしても、後々この文化は衰退していくはずです。
 
動物の形をした笛屋さんも徐々に店舗を撤退していきます。
 
つまりバレンタインはとてつもなく「良いところ」を突いている文化なのだと考えている。なので私も否定的ではありません。
 
小学生の頃なんかはとてつもなく学校がざわざわしていたのをよく覚えています。なんとな〜くソワソワしている男女。
 
帰りの会の挨拶が終わった後の光景は目に焼き付いています。帰りがけの私の男友達の後ろに駆け寄る女子。彼女は急いで男友達のランドセルになにかの袋を入れてそそくさといなくなり、照れる男友達。
 
水筒の蓋の開閉する部分に練り消しを付け、開いた蓋の間で伸びる練り消しを見ながら爆笑している私もその瞬間だけは見逃さなかった。
 
きっとあのランドセルの中身はチョコレートだ。「意表を突いてカエルの死骸でした!」なんてことは無いだろうし、そうだとしたら後々問題になるはず。ということで、あれは確実にチョコレート。
 
それを私は傍観するしかなかった。
 
今回のバレンタインも傍観者としてのバレンタインに参加することが決定している。もはや参加ではなく不参加のほうが正しい。
 
しかし先日少しだけバレンタインの風が吹いた。
 
母がチョコレートを買ってきた。「ムーミン好きでしょ」と言いながらムーミンの缶に入ったチョコを渡された。しかし渡された一箱が私の物というより、つかみだけバレンタインの風を吹かせた「家族で食べるチョコ」だった。
 
捻くれた考えだがこれは正当なバレンタインチョコレートではないのは確か。ですが感謝の気持はあるので美味しくいただきました。
 
母が「ムーミン好きだよね?」と渡してきたので、私がムーミン好きのように見えるかも知れないが、私はムーミンを特別好いている訳ではない。「スナフキンカッコ良」くらいにしか思っていない。ムーミンを好きとか嫌いとかの視点で見たことがないし、ムーミンが嫌いな人の意見は聞いてみたいとも思う。
 
そんなわけで今年のバレンタインは何も無い普通の一日として過ごす事は確定。14日当日は貰ったチョコを載せるインスタグラムの投稿が流れ、そこから発せられたブルーライトが僕の目を蝕む事でしょう。
 
何の話がしたかったのか忘れましたが、とりあえずバレンタインについての話を書いたほうが良いと思いこの話題に触れました。