お雑煮のブログ

ほぼ偏見

日記①

高校生らしい悩みだらけだな毎日

 

いつ何時だって悩みは尽きない。時間が一秒進むたびに悩みが一つ一つ増えてくる。

 

多種多様な周りの人間に振り回される自分の思考。

話は変わるが僕は年々面倒くさい人間になりつつあり現在進行形だ。

 

 

流行りのアプリで音楽にノるカップルの姿を見てはいつ破局するのだろうなどと考えてしまう。

 

口だけを隠すアイドルを見ては「口だけを隠すことに意味はあるのか?」などと考える。

 

スタバでマックブックを開いている人を見てはそこでする必要があるのか?もっといい場所があるのではないのか?なんて思ってしまう。

 

 

僕が昔から不思議に思っている事の一つに「男1女3で出掛けている人達」というのがある。あれは本当に謎だ。

 

しかし殆どの場合男子も女子も顔が整っている。このような場面に街で遭遇した後、僕はひとり自分の部屋でこの事について考える。そしてこの場合「世の中顔」という結論にたどりつきひとり部屋で落ち込む。単純に周りに振り回されている。いや、自分から振り回されに行っている。そしてそれなりに勝手に傷つき暗い気分になる。面倒くさい人だとつくづく思うが治せない。

 

 

そんな僕は最近音楽に救われる。

 

去年何きっかけだかは忘れたが「星野源」を深掘りした。もともと母がファンだった事もあり曲はちょこちょこ聴いていた。

 

そして僕はファーストアルバムに収録されている「ばらばら」に心を持っていかれた。

 

歌詞に「 世界はひとつじゃない ああそのままばらばらのまま 」とある。

当たり前な事なのに最近忘れていた気がする。どうして気が合わないのだろうとか、どうしてそんな愚かな事ができるのだろうと日々悩んでいたが根本は悩んでもどうしようもないという事に気がついた。みんなばらばらだからだ。

 

歌詞の続きに「 気が合うと見せかけて 重なりあっているだけ 」とある。多分誰かと本当に気が合う瞬間は日々の中で少ししか無いのかもしれない。気が合わない、もやもやして曇りがかっている気持ちは楽しかった記憶や偽の感情で重ね表に出ないようにしていると思う。思い返せばそんな気がした。

 

 

そんな僕を支えてくれている星野源さんの曲を聴きながら通学をする。通学の際使うのは電車だ。

僕は必ず先頭車両か後方車両どちらかに乗る。これには理由があって、まず僕は座りたい。それも極力人がいない所でリラックスしながら座りたい。そうなれば自ずと一番前か一番後ろの車両に乗る事になる。しかし必ず誰かしらは座っている。でも全く問題ない。なぜならそこに座っている人もおそらく僕と同じ理由でその車両に乗っているからだ。お互いリラックスしたい同士だから居心地は良い。だから僕はホームを前へ前へと進む。

 

 

星野源さんの曲には計り知れない程の勇気と悲しみを貰っているのでその話はまたいつかしたいと思う。

 

 

そんなこんなでまた大切なゴールデンウィークという時間を無駄にしてしまっている。

ある意味人間らしい行動ではあるものの、多分自分の走馬灯には載らないだろう。今行なっていることが未来に繋がる気がしない。だからと言って胡散臭い「有名○○になるための10箇条」みたいなことは「胡散臭いし嫌だ」と言ってやらない僕。というかこういう事を言ったり何かに載せる人は大抵自分の事が好きだから自分の写真とかも一緒に載せている。載せている本人は何も考えていないと思うが、そういうところに僕は少し違和感を感じてしまい「ではやってみよう」とはならないのだ。

 

 

やらない理由を見つけては物事を後回しにした結果、生活リズムは崩れ精神を思い込み、嫌な現実が蝕んでいく。

 

こういう時どうするのが正解なのだろう。ちなみに「死ぬ」という選択肢は僕にはない。まだやりたいことが山ほどある。エッチもしたい。憧れの人とも仲良くなりたい。友達を増やしたい。だからまだそれを選択することはない。思えば大きな病気にかかった事が今までない入院もした事がない。体は至って健康なのに精神の器の大きさが見合ってないのかもしれないなと思い、「精神 安定」と調べ、覗いたサイトには「こんな状態があったら要注意」という自分でチェックできる項目があった。僕はほとんど当てはまっていた。

 

どんなことも 胸が裂けるほど苦しい 夜が来ても全て覚えているだろう

 

声をあげて 飛び上がるほどに嬉しい そんな日々がこれから起こるはずだろう

 

 

「フィルム」のこの歌詞を忘れずに生きていこう。さようなら